不安という怪物に追われて
私はずっと、漠然とした不安という見えない怪物に追われて生きている。
中学生で不登校になってから、ほぼずっと。
小学生のころは違った。
叱られて、褒められて、将来はこうなりたいって、無邪気に考えていた。
日常は色鮮やかで、不安なんて言葉を意識することすらなかった。
でも中学生になってから、何かが変わった。
不登校の不安。
浪人の不安。
就職の不安。
やりたいことがない不安。
気づけば、不安はずっと隣にあった。
それは、見えない壁が背中から迫ってくるかのような感覚で。
あるいは、足場が崩れていく崖の上に立たされているような感覚だった。
名前は変わっても、正体はずっと同じだった気がする。
どうすればこの不安はなくなるんだろう。
これから先も、ずっと抱えたまま生きるのかな。
そう考え続けてきた。
不安は、本当に消すべきものなのか
世の中には、不安の解消法が溢れている。
深呼吸をしろ。
睡眠をとれ。
前向きに考えろ。
でも正直、どれもしっくりこなくて。
私には、どこか”的外れ”にすら感じた。
不安ってそんなに単純じゃないよなって思うから。
人が抱える不安は多様で、それぞれ違う。
同じ『不登校』でも、そこに至るまでの理由も痛みも全部違う。
だから、「こうすれば解決するよ」なんて、簡単に言えるものじゃないと思う。
そもそも、不安って本当に解消すべきものなのかな。
不安は、変わろうとしているサイン
あるとき、YouTubeのshortで流れてきた言葉が、妙に頭に残った。
ひゃくえむに登場する言葉だ。
「不安は対処すべきではない」
正直、言い過ぎだと思った。
でも、どこかで引っかかった。
受験も、就職も、その先の人生も。
何かを選ぼうとすれば、必ず不安はついてくる。
だとしたら――
不安は解消するものじゃなくて、抱えたまま進むものなんじゃないか。
不安は、変わろうとしたときに生まれる。
背伸びしたときに生まれる。
このままじゃ嫌だと思ったときに生まれる。
つまり不安とは、変わろうとしている自分のサインだ。
不安から逃げた分だけ、人生は薄くなる
私は、不安を消そうとするのをやめた。
きっかけは、就職活動が終わったとき。
正直、本当はITに進みたかった。
でも、時間に追われて、妥協を重ねて、今の製造派遣に行き着いた。
確かに、逃げの選択だったと思う。
これ以上、就活を続けたくなかった。
それ以上に、卒業と同時に無職になるのが怖かった。
これでいいのかなって気持ちは、最後まで消えなかった。
それでも、選んだ。
自分で損得を考えて、迷って、それでも決めた。
だからこそ、大きな後悔はしてない。
完璧な選択じゃなくても、最善の選択じゃなかったとしても。
自分で選んだという事実だけは、揺ぎ無く残るからだ。
不安の解消は、安全圏への逃避に過ぎない。
不安から逃げた分だけ、人生は薄くなる。
なぜなら、そこに挑戦がないからだ。
挑戦しなければ、不安も失敗もない。
でも――
そんな人生、どこか物足りないなって思うんだ。
不安があるってことは、まだ諦めてないということ
それでも、不安に押しつぶされそうになる日はある。
特に、大きな目標や大事を控えたとき、誰かに非難されてしまったとき、自分ってこのままでいいのかなって、正体の掴めない雲のような不安に襲われてしまう。
そんなとき、私はこう考える。
不安は、挑戦している証だ。
変わろうとしている証だ。
不安があるということは、まだ諦めていないということだ。
不安は敵じゃなくて。
私を止めるものじゃなくて。
前に進もうとしている私だからこそ生まれる感情だ。
だから、消さなくていい。
抱えたまま、進んでいく。
答えは自分の中に
だから私には、不安の解決方法は語れない。
不安は人それぞれ違う。
正解もひとつじゃない。
向き合い方は、その人の中にしかない。
だから私にできることは、私がどう不安と向き合ってきたかを伝えることだけ。
それを読んでどう感じるか。
どう考えるか。
それは、きっと私じゃなくて読んだ人が決めることだと思うから。
ただ、不安を消さなくても進めるんだよってこと。
この言葉が、少しでも残って前に進む後押しになれたら嬉しい。






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